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【特集】競泳 立石諒選手にインタビュー。一度は競技を離れたオリンピックメダリストが、5年ぶりに今を語る。

日本水泳界の一時代を牽引し、2012年ロンドンオリンピックでは200m平泳ぎで銅メダルを獲得した立石諒選手。

2017年に現役引退を表明しましたが、2022年1月に5年ぶりの現役復帰を発表し、世間を驚かせました。

そんな立石選手に、「現役復帰に至った経緯」や「復帰から今日に至るまで」のお話を伺いました。

立石 諒|Ryo Tateishi

1989年6月12日生まれ、神奈川県出身。
幼少期から水泳を始め、ジュニアからシニアまで、幾度も日本代表に選出。2010年日本選手権では50m・100m・200m平泳ぎで3冠を達成し「ポスト北島康介」として注目を集めた。
2012年のロンドンオリンピック200m平泳ぎでは、隣のレーンを泳いだ北島康介選手をゴール前で交わし、0.06秒差で銅メダルに輝く。
2017年4月に現役引退を表明したが、2022年1月にセルソース所属選手として5年ぶりの現役復帰を発表した。

ロンドンオリンピックを振り返って

(左)立石選手/(右)高城直基コーチ

――2012年ロンドンオリンピックの出場権を勝ち取った瞬間はどのような心境でしたか。

大学を休学し、人生を賭けてオリンピックを狙っていたので、何とかして出場を決めないといけないと思っていました。

なので、出場が決まった瞬間は「やったー!」というよりは、ほっとした気持ちの方が大きかったですね。

――ロンドンオリンピックで銅メダルを獲得されましたが、メダル獲得が決まった瞬間の気持ちを教えてください。

康介さん(北島 康介選手)と並んでタッチしたので、終わった瞬間は正直どちらが勝ったか分かっておらず、ゴールした後少しの間は戸惑っていました。

そのあとにメダルが取れたと分かった瞬間は、もちろん嬉しかったです!これまで辛い時期もあったけれど、それを乗り越えて水泳を続けてきて良かったなと思いましたね。あとは、小さい頃からサポートしてくれた両親や周りの人たちの顔が頭にぱっと浮かんできました。

オリンピックメダル獲得後の怪我と挫折

――ロンドンオリンピック後の怪我について教えてください。

2014年に右肘の手術をして、その後の2015年には日本代表に復帰できたのですが、怪我をする前の泳ぎのレベルには戻らず、練習も思ったようにできませんでした。

そんな中、肩と膝の状態も悪化してきて、どんどん練習の幅も狭まってしまい、メンタルも落ちていきました。本当にもどかしい時期でしたね。

――具体的にどのような様態だったのですか。

手術をした右肘は、ウエイトトレーニング中に尺骨神経脱臼というケガをしたもので、定期的にステロイド系の注射をずっと打っていました。その影響もあってか、皮膚の変色と骨の変形が起きてしまい、更には神経が傷ついたということで神経の一部切除もしたりしました。

ここまで右肘を痛めてしまったことで、そこから身体のバランスも崩れてしまいました。また、膝は慢性的な滑膜炎で、肩は肩鎖関節の痛みがずっと続いているような状態でしたね。

度重なる怪我で思うような練習ができなくなり、気持ちも落ちてきてしまったことが、引退の1番の決め手でした。

思い描いた復帰となっていない今

――競技に復帰しようと思われたきっかけを教えてください。

怪我がなければそれまで競技を続けていたと思いますし、自分の中で「不完全燃焼」という思いが強くありました。そんな時に、セルソースの裙本社長と出会い、再生医療の話を聞いて「怪我が良くなる可能性があるなら治療を受けてみたい。そして、競技に復帰したい。」と思うようになったのがきっかけですね。

――年齢やブランクに対する不安はありませんでしたか。
     
僕自身、「今できることを後悔なくやっていきたい」ということをずっと大切にして生きてきました。なので、「チャンスがあるならチャレンジしたい」という気持ちが強かったです。

――まずは治療からということで、オーバル中目黒整形外科クリニックでPFC-FD™療法を受けられたと思いますが、怪我の具合はいかがですか。

僕がそれまで受けてきたステロイド系の注射は即効性がありましたが、その分代償も大きなアプローチだと痛感していました。

一方で、PFC-FD™療法はゆっくり、じわじわと痛みがなくなっていくような感覚を受けました。なので、治療をした後はとにかく焦らないことが大事だと感じましたね。結果として、PFC-FD™療法とリハビリだけで競技に復帰することが出来ました

――パリオリンピック出場という大きな目標に向けて、現在の状態はいかがですか。

実は、予定していた復帰スケジュールからすると、かなり遅れています。

もう少し早めに身体も戻ってくると思ったのですが、思ったように動いていなくてもどかしいです。なかなか結果がついてきていないのが現状です。

そんな状況でもあるので、復帰当初の「徐々に試合勘を取り戻しながら練習していく」プランを切り替え、「夏までしっかりトレーニングを積み、そこから試合に臨んでいく」ことでコーチと合意しました。

現状思い描いていたスケジュールからはビハインドしていますが、2024年3月に行われる選考会本番までにしっかり合わせられるよう、今はトレーニングに集中したいと思っています。

――直近の目標を教えてください。

まずは身体を取り戻すことですね。引退前と同じくらいベンチブレスも上げられるようになっていて、筋肉の瞬発力は上がっているのですが、筋肉量と体脂肪のバランスがまだ整ってきていない状態です。そのバランスをしっかり調整して、うまく泳げるような身体作りをしていくことで、タイムも飛躍的に変わってくると思っています。

一度競技を離れた経験があるから思うこと

――スポーツを頑張っているジュニア世代へ何か伝えたいことはありますか。

そんな偉そうなことは言えませんが…(笑)。若い時は「カッコいいかどうか」で物事を決めることが沢山あると思っていて、僕自身もそうでした。でも、「カッコいいことをやる」ことと、「カッコいい自分になれる」ことは別問題だったりします。

今回の復帰もそうですが、「自分自身が本気でやりたいと思ったことは、まずは一歩踏み出してみること」が大事で、それをやり遂げられたときに本当のカッコいい自分になれると思います。本気でやりたいと思ったことは、周りの目を気にせず自分の意思を強く持って、行動に移してほしいなと思います。

人生は何事も挑戦から始まると思います。復帰した僕の姿を見て「何歳になってもチャレンジできるんだ」ということを感じてもらえたら嬉しいですね。

――最後に読者の方にメッセージをお願いします。

日頃より温かいご支援、ご声援をいただき、本当にありがとうございます。

この記事を読んでいただいた方に、僕からお伝えしたいことは、「怪我をしたからといって、簡単に何かを諦めて欲しくない」ということです。

僕は裙本社長に出会ったことが転機になりましたが、時代と共に医療が凄く進化していることを、身をもって感じています。僕は多くの怪我をし、更にはその後遺症にも悩まされていました。にも拘らず競技に復帰できている今、治療をしてよかったなと心から思います。

特に、現役アスリートの皆さんが「知らない」ことを理由に怪我で競技を辞めることがないように、僕自身の経験を絡めながらしっかり伝えていきたいです。そして、僕自身の姿でそれを証明できるよう頑張っていきますので、今後とも応援を宜しくお願いいたします!


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