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【特集】茨城ロボッツ鶴巻啓太選手にインタビュー。地元でプロアスリートとして活動することへの思い。

セルソースは現在、17のスポーツチームとメディカルパートナー契約を締結しており、プロバスケットリーグであるB.LEAGUEに所属する「茨城ロボッツ」とも、2021年12月よりメディカルパートナーとしてご一緒しています。(当社のメディカルパートナー契約についてはこちらの記事をご覧ください)
 
そんな「茨城ロボッツ」に所属し、昨年10月に怪我から復帰された鶴巻選手に、バスケットを始めたきっかけから、地元茨城で活動する思いをお伺いしました。

鶴巻 啓太|Keita Tsurumaki
1996年4月24日生まれ、茨城県出身。
B.LEAGUE「茨城ロボッツ」所属のバスケットボール選手。ポジションはシューティングガード・スモールフォワード。
 
小学校3年生から本格的にバスケットボールを始め、高校3年生の時にインターハイに出場し、U-18日本代表に選ばれる。その後中央大学に進学し、インカレ(全日本大学バスケットボール選手権大会)では全国ベスト16の成績を残す。大学4年生で「茨城ロボッツ」特別指定選手に登録され、大学卒業後プロ契約を結ぶ。

物心ついた時から、ずっとバスケのことを考えていた。

ーーバスケットボールを始めたきっかけを教えてください。

父が中学バスケ部の顧問をしていたので、小学校に入学する前から、父の職場の近くでよくボール遊びをしていました。そういった経緯で幼い頃からバスケに触れる機会が多かったこともあり、物心ついた時には自然と「バスケをやりたい」と思うようになっていましたね。  

ーー学生時代はずっとバスケ部だったのですか。

小学校3年生から本格的にバスケを始め、中・高・大もずっとバスケ部でした。小学生では全国大会に出ましたし、中学生では茨城県で1番になることも経験しました。

高校3年生の時にインターハイに出場し、U-18日本代表にも選ばれました。大学3年生の時にはインカレにも出場するなど、比較的レベルの高いところでプレーさせてもらってきたなと思います。  

ーーバスケットボールを辞めようと思ったことはありますか?  

小学生の時に練習が辛くて、バスケから逃げたことが一度だけあります(笑)。当時のコーチが厳しく、練習をサボったんですよね。でも、結局はその日一日中「早くバスケがしたい」と思っていることに気が付き、それ以降は辞めようと思ったことはないですね。  

そのコーチには凄く鍛えられました。当時は辛かったけれど、あれがあったからこそここまで来れたと思うので、今では本当に感謝しています。

ーープロになることを決意したのはいつ頃ですか?

大学卒業間際まで、実業団に行くかプロに行くかで迷っていました。最後の最後まで決めきれず、これまでお世話になった恩師に相談したら「バスケを続けたいなら、プロになってバスケに集中出来る環境に身を置いた方がいいのではないか。」というアドバイスをいただき、その言葉が自分にとてもしっくり来たので、プロになることを決意しました。  

ーー茨城ロボッツに入団したきっかけは?

僕のことを小学校の頃から知ってくださっていた当時の茨城ロボッツのゼネラルマネージャーから、特別指定選手(*) としてのオファーをいただいたことがきっかけです。大学4年生からチームに登録していただきましたが、地元である茨城に貢献したいという思いが強まり、大学卒業後そのまま入団することに決めました。  

*=16歳以上22歳以下の選手がB.LEAGUEの試合に出場できるという制度。現役の高校生や大学生の有望選手に、個人の能力に応じた環境を提供することを目的としており、各クラブは通常の選手登録枠とは別に2名まで登録することが出来る。  

悔しい思いをバネに成長してきた。

ーー2022年4月に左膝外側半月板損傷をされたと思いますが、その時はどんな心境でしたか。
 
それまでにも小さな怪我はありましたが、手術が必要なほどの大怪我は初めてでしたので、内心凄く焦りました。自分の誕生日の前日に怪我をしてしまいまして・・・悲しい誕生日になってしまいました。リハビリの期間も長く、6カ月ほど競技から離脱しました。

ーー半月板損傷の手術をした後、復帰を早めるためにセルソースのメディカルサポートを受けることになったのですね。
 
茨城ロボッツのメディカルパートナーであるセルソースと北水会記念病院のバックアップにより「PFC-FD™療法」を受けました。これまで自己血液由来の治療というのは受けたことがなかったので、正直不安がなかったと言ったら嘘になります。ただ、僕としては一日でも早く競技に復帰したかったので、手術後の早期回復が期待できるなら是非受けてみたい、と思いました。
 
初めて投与したのはまだ走ることすら出来ない状態の時でしたが、投与後には歩きやすくなった感触がありました。2回目以降は動けるようになってから投与したので、初回ほどの大きな変化は感じませんでしたが、毎日リハビリに励み、PFC-FD™の効果もあって10月の開幕戦に間に合うことが出来ました。

手術をした左膝

ーー学生時代と比べて、プロになって変わったことはありますか?
 
当たり前のことではありますが、プロはお金をいただき“仕事”としてプレーをします。そのため、一つの試合・一つのプレーが持つ責任の重さは、学生時代とは全く違います。
 
また、プロチームは試合を観てくださるサポーター・ファンの方々がいないと成り立ちません。プレーだけではなく、如何に多くのファンの方に応援してもらえる存在になるか、ということも意識するようになりました。
 
そういった様々な思いを背負いながらプレーするようになったことは、僕の中で大きく変わったところですね。
 
ーーこれまでのプロの活動を振り返ってみていかがですか。

学生の頃は有難いことに試合に出る機会が多く、更にはチームの中心選手としての役割を期待されていましたが、プロになってからは試合に出られないことが多くなり、悔しく、悩むこともありました。
 
もちろん周りから様々なアドバイスを貰いますが、最終的には自分で解決しなければいけない世界です。そういう厳しいプロの世界に身を置いたことで、アスリートとして、人として、少しずつですが成長出来ていると感じます。
 
最近では徐々にプレータイムを貰えるようになりました。試合で活躍出来た時はプロアスリートとしての喜びを感じられています。

育ててくれた地元 茨城への恩返し

ーー鶴巻選手が地元茨城で活動する思いは?

僕が小さい頃は茨城にプロのバスケチームは無かったので、プロの試合を見る機会がありませんでした。「茨城ロボッツ」が出来て、茨城の子供たちにトップレベルの試合を観てもらう機会が出来たことは、率直に良かったなと思います。
 
さらに、地元出身である僕が試合で活躍している姿を子供たちに観てもらい、その子たちに夢を与えることが出来ていたら嬉しいですね。これまで育ててもらった茨城に恩返しをしていきたいな、と思います。

ーー「茨城ロボッツ」はどんなチームですか??

凄く仲の良いチームですね。プロチームとして、僕はまだロボッツしか所属したことがないのですが、入団してくる人は皆口を揃えて「凄く仲の良いチームだ」と言ってます。
 
僕個人としては、大学時代の同期で当時から凄く仲の良かった中村功平が2020-21シーズンにロボッツに来てくれたので、休日もよく遊んでいます。
 
ーー鶴巻選手の今後の目標を教えてください。

まずはコンディションを100%に戻すことですね。怪我をした部分を押したりするとまだ少し痛みがあるのですが、プレー中はだいぶ動けるようになってきたので、不安の無いレベルまで戻したいです。

あとは、プロとして試合はもちろんですが、様々な場面でプロらしい振る舞いをできるようにしていきたいと思います!テレビで見るプロのトップアスリートの人たちからは、色々な面で「余裕」を感じるので、僕も余裕が持てるように成長したいなと思います。
 
こういった取材ももっと上手く話せるよう、勉強します(笑)。
 
――最後に、ブースター(B.LEAGUEファン)の方にコメントをお願いします。
 
昨年4月に怪我をして復帰までに約6カ月と多くの時間を費やしました。しかし、たくさんの人の支えがあり復帰し、プレーをすることができています。皆さまに感謝の気持ちを持ち、これからもバスケットボールを続け、チームを勝利に導いていきたいです。