商社マンから再生医療ベンチャーの営業責任者へ。営業活動の根幹は「お客様と向き合う際の心構え」。【Our Voice Vol.16 片岡 賢太朗】
セルソースには「すべての人生に自由を医療に革命を」というミッションの下に、多種多様で魅力的なメンバーが集結しています。
そんなセルソースのメンバーにインタビューしていく「Our Voice」。第16弾は、営業本部長の片岡賢太朗さんです。
現在、医療機関向け再生医療関連サービスの営業組織を統括されている片岡さん。セルソースに入社するまでの商社での経験や、転職に至った理由等を伺いました。
配属先の希望面談で伝えたのは、「一番厳しいところに入れてください」。
ーー商社ではどのような仕事をされていたのですか。
木材資源事業部という部署で、建築などに利用する木材を海外から輸入し、国内の建築メーカーに販売する仕事をしていました。
最初の3年は、輸入元の中国・韓国・日本を常に飛び回るような生活を送っていました。
その後、ロシアの山奥にある「プラスタン」という小さな町の木材加工工場に駐在することとなり、サンクトペテルブルクでの1年間語学研修を経て、2015年・2016年をプラスタンで過ごしました。
その後東京に戻ってからしばらく営業として活動した後、2021年にセルソースに入社し、現在に至ります。
キャリアに関して言うと、裙本さん(当社社長)も深く関係しています。彼は同じ部署の先輩で、そして全く同じ工場に駐在していたんです。
私がロシアに駐在する前に裙本さんは住友商事を退職してセルソースを立ち上げたのですが、彼が退職してからも頻度高く連絡を取り合っていました。
ーー現在も営業組織を率いられていて、営業一筋のキャリアですね。配属先はご自身で希望をされた部署だったのですか。
新卒入社直前の3月に配属先の希望を伝える面談があるのですが、その時に私は「営業じゃないと嫌です。」「一番厳しいところに入れてください!」と伝えました。
その結果、先ほど紹介した木材資源事業部に配属になりました。社内でもハードなことで有名な部署で、名前も知らない先輩に「君が片岡か」とよく声をかけられました。あの厳しい部署に新人が入ったと噂になっていたらしいです(笑)。
ーー自分から「一番厳しいところに入れてくれ」と希望するのは、なかなか珍しいですよね。
ニューヨークやロンドン等の華やかな場所を希望する学生が多い中、かなり珍しかったと思います。私は学生時代サッカーに打ち込んでいたのですが、その経験を通じて「厳しい環境の方が自分は成長できる」と実感していたので、仕事でも厳しい環境を希望しました。
ちなみに後から知ったことですが、裙本さんも「一番厳しいところに入れてほしい」と言って同じ部署の配属になったらしいです。
責任と覚悟を問われた住商最後の4年間
ーー実際に厳しい環境での経験は振り返ってみていかがですか。
大きく成長できたと思っています。特にロシアの工場から日本に戻ってきてからの4年間が印象に残っています。
ロシアから輸入した木材を国内の建材メーカーさんなどに販売していたのですが、競合の出現や日本産木材を支援する政策の発令などがあり、市場環境が不利な状況に傾いていく時期でした。
かなり大変な状況でしたが、私には何としても販売しなければいけない理由がありました。それは、工場のあるロシアのプラスタンという村の人たちの生活を支えなくてはならなかったからです。
その村に住む3,000人のうち、大半の方の生活が、私が携わっていた木材事業で成り立っていました。駐在時代に一緒に暮らし、共にウォッカを飲んで頑張ってきた仲間たちの生活が、私が木材を販売できるかどうかに懸かっていたんですよね。この責任がある中、私が足を止めるわけにはいかないなと。
思い返すとかなり大変なことも多かったですが、最終的に目標数を販売しきることができました。
大きな責任がかかる中で強い覚悟を持って取り組めた経験は、私自身の成長につながったと感じていますし、仕事に対する考え方がガラッと変わりましたね。
次のチャレンジを求めてセルソースへ
ーーセルソースに入社したきっかけは何だったのですか。
それまで担当していた木材事業では1つやり切ったなという感覚を持てており、何か新しいチャレンジをしたいと思ったのがきっかけです。
裙本さんからは、セルソースを創業してすぐの頃から誘って頂いていたのですが、木材事業が一区切りするまでは、住友商事でまだ頑張りたいと思っていました。
そして、「やり切った」と確信できたので、裙本さんに「セルソースに入社したい」と伝えました。
実は住友商事時代、裙本さんと一緒に仕事をした期間は短かったんです。ただ、当時から裙本さんは社内でも一目置かれていたし、退職後もお客さんやロシアの仲間から「裙本は今どうしている」といった話が上がるほど信頼されており、営業マンとしても本当に凄い人だなと思っていました。
日頃やり取りする中でも彼の考えに共感できる部分が多くありましたし、裙本さんと一緒ならばまた面白いチャレンジができると思い、入社を決意しました。
ーー未経験の医療業界へのチャレンジでしたが、その点はいかがでしたか。
再生医療の知識はない状態のスタートでしたが、大きな不安はありませんでした。
もちろん知識やスキルも大事ですが、営業活動において大事な幹の部分は「お客様に向き合う際の心構え」だと考えており、今までの経験でその部分には自信を持っていました。
実際に医療機関の方々と会話させていただく際にも、相手の発言を正確に理解し、丁寧にコミュニケーションをすることで信頼を寄せていただけていると自負しています。
といっても、かなり勉強はしましたよ(笑)。入社前には社内メンバーと面談機会をもらって勉強をさせてもらったり、部屋にこもって関連書籍を読み込んだりしました。
今でも分からないことは出てくるので欠かさず勉強するようにしていますし、周りのメンバーに教えてもらうことも日々あります。
ーーセルソースの営業の面白さはどこにあると思いますか。
「医療」という今後も確実に残る領域で、その中でも「再生医療」という新しい領域を拓いていけることは面白いなと思っています。
セルソースは日本の再生医療を牽引している存在だと思うので、そこの一員として活動できることはワクワクしますね。
医療の専門家である医師の方々から「再生医療のことを知りたい」と言って頂けるのも、再生医療が新しい分野だからこそ経験できることだと思います。
私が経験していた木材の業界ではお客様の方が詳しいことが多かったので、この点には最初驚いたのを覚えています。
プレイヤー、キャプテンを経て、目指すは名監督
ーーお休みの日は何をされているのですか。
サッカーを昔からやっていて、今でも週に1度はプレーしています。息子の試合を見に行ったりもしていて、だんだん見ている時間が増えてきましたね。昔はフォワードでしたが今はセンターバックです。
ーー最後に、片岡さんの今後の目標を教えてください。
この2023年11月から営業本部長という役職になりました。
これまでは主に現場でお客様と向き合うプレイヤー的役割や、部長としてチームを率いる役割を果たしてきました。
当社における本部長はどちらかというと「監督」的なポジションです。お客様と接することもありますが、メンバーが最大のパフォーマンスを発揮できるようにチームを導いていくことが自分のメインミッションです。
サッカーでも仕事でもプレイヤーの経験が多かった自分にとって、監督になることはとても大きなチャレンジです。日々学びながら、セルソース営業部隊の名監督になることが目標ですね。