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「いけるんちゃう」から世界へ。海外事業担当の挑戦とは。【Our Voice Vol.9 德田 峻人】

セルソースには「すべての人生に自由を 医療に革命を」というミッションの下に、多種多様で魅力的なメンバーが集結しています。

そんなセルソースのメンバーにインタビューしていく「Our Voice」。第9弾は、経営企画部の德田 峻人さんです。
 
2021年の入社以来、一貫して新規事業開発に携わり、現在はセルソースの将来の柱となりうる「海外事業」に全力投球しています。飄々とした人柄が組織を超えて全社から愛される德田さん。セルソースで働くことのモチベーションや海外での事業開発の実態について伺いました。

德田 峻人|Shunto Tokuda
セルソース株式会社 経営企画部
 
2014年に大阪大学を卒業後、住友商事に入社。住友商事では財務部門に5年間勤務後、トレーニーとして米国・アリゾナ州に駐在。従業員2,000人を超える建機レンタル会社・Sunstate Equipment社に出向し、本場の「経営」に触れる。帰国後1年間審査部門を経験。2021年、セルソースに入社。入社後は一貫して新規事業開発に従事し、現在は海外事業立上げに邁進中。本年5月にプレスリリースされたインド進出案件の主担当者でもある。

米国で受けた刺激が、自分の進路を変えた

――德田さんの経歴を教えてください。

キャリアは住友商事という総合商社から始まりました。最初に財務部門に配属され、トレードファイナンスや外為など、オペレーション中心に実務をやりました。その後アメリカにトレーニーで行けることになり、アリゾナ州に1.5年間滞在し帰ってきました。
 
帰国後は審査部隊に戻ってきて1年ほど勤め、セルソースに移りました。帰国したのが2020年というコロナ真っ只中の時期だったので、その1年間はほぼフルリモートでの勤務でしたね。

――住友商事時代で一番刺激を受けた経験・エピソードを教えてください。

やっぱり米国で過ごした1.5年間の経験が大きいですね。私が出向したのはSunstate Equipmentという建機レンタルの会社だったのですが、私が行ったタイミングで既に2,000人の従業員を抱える大企業でした。
 
1977年設立で、創業者一代でそこまで大きくなった会社なのですが、経営のレベルが本当に高かった。CFOや財経部長(元上司)はDeloitteからキャリアをスタートさせ、その後Sunstateにジョインしたのですが、「高い水準で専門知識と現場経験が掛け算されると、ここまでレベルの高い経営が出来るのか」と取締役会だけでなく、日々の議論で衝撃を受けていました。
 
転職を考えたのも、この時ですね。「専門知識」と「現場経験」のそれぞれをもっと積み上げたい、という想いが強くなりました。
 
――德田さんと言えば、「誰とでも仲良くなり、信頼される」イメージが強いですが、そのコミュニケーション能力も米国で培われたのですか?
 
どちらかというと、人とのコミュニケーションは昔から得意でした。ですが、やはり米国での影響もあります。
 
というのも、現地の言葉でいう「ホワイトワーカー」も「ブルーワーカー」もいるわけですが、何にも知らない自分は全ての人から教えてもらわないといけない。でも、自分は住友商事レベルの給料を貰っている。
 
つまり、いつ見捨てられてもおかしくない状況な訳です。そういう状況で自分がどう生き、どう成長していくかを考えた時に、「他者からどう見えているか」を意識することは必須でした。その経験のお陰で、相手に合ったコミュニケーションがより出来るようになったかもしれません。

「個」で戦うことのしんどさとやりがいと

ーーセルソースの中では、比較的「足が長い」海外事業を担当されていますが、その中で「やりがい」を感じる瞬間はどういう時でしょうか?
 
色々ありますが、分かりやすくタフで、且つやりがいを感じるのは海外出張ですね。
 
住友商事の時も幾度か海外出張しましたが、その時は複数人で行きましたし、”末端”としての位置づけだったので権限も責任もありませんでした。なので、緊張感は無かったです。
 
一方、セルソースでの海外出張は基本一人ですし、ベンチャーなので「上手く行かなかったので、また行かせてください」は許されません。自分の元々の専門ではない再生医療の話をしないといけない、ということもあり、出張の緊張感はいつも凄いですね。その分、やり切った時のやりがいも大きいです。
 
最近は山木さん(後述)が来てくれたので精神的には楽になりましたが、結局強みと専門性が全く違うので、緊張感は変わりません。寧ろ二人になったので、責任は更に重くなった印象です(笑)。

「オープンフィールド感」溢れるセルソースで、仲間と共に結果を出す

德田 (左) 山木(右)

ーー德田さんがセルソースにいる理由ってなんですか?
まず僕は前提として、「何をやるか」よりも「どういう環境で働くか」の方が、大事なタイプです。
 
そして、セルソースは「ゼルダの伝説」的なオープンフィールド要素が強いと思っていて、とても働きやすいです。具体的にいうと、「反社会的事業じゃなければ、何でもチャレンジしていい」という凄い自由さがあって、自分に合ってます。勿論、PurposeやMissionを意識しながらにはなりますが、制限されるようなことが無いのがいいですね。
 
あと、昨年11月に開発部隊から海外部隊に来てくれた山木さんとの仕事がやりやすいし、しかも刺激をとても受ける。彼は研究畑で、自分はビジネス畑。まさに自分が米国で感じた「専門知識×現場経験」を二人で実現出来ている感覚があって、日々楽しいです。あと、僕は結構色んなことを「どうでもいい」と思うタイプなのですが、その感覚が近いのもいいですね(インタビュアーの上司は失笑)。

「いけるんちゃう」の気持ちを大事に、海外事業を育てたい

德田(左)裙本社長(中央)山木(右)
海外出張にて

ーー先日、インド事業のプレスリリースが出ましたが、今後の目標を教えてください。
僕は元々、「日々が楽しい」ことを大事に生きるタイプで、あまり未来のことを考えたりはしませんでした。
 
が、セルソースに入り、自分がやっている海外事業が形になっていくにつれて、「セルソースの行く末を見てみたい」という想いが強くなってきました。これは自分でもちょっと驚きの感情でした。
 
社長の裙本さんって、本当にネガティブなことを言わないんですよね。それどころか、結構不透明な状況でも「いけるんちゃう。しらんけど笑」とか言って、なぜか前向き。でも、「いけるんちゃう」ってずっと言ってると、実現するんですよね。
 
インドもリリースされましたが、まだ事業開始には至っていません。他の案件も含めて、多くのハードルがあります。でも、常に「いけるんちゃう」とか言いながら、山木さんやセルソースメンバーと一緒に前に進めば、きっと上手くいくと思ってます。
 
そして、事業を幾つか実現させて、堂々と「海外事業部」を作る、というのが明確な目標です。


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