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【青山学院大学 太田蒼生選手インタビュー】 大きな大会ほど楽しい。夢は世界で活躍すること。

現在、青山学院大学2年生の太田選手。昨年の上半期は怪我で思うような練習が出来なかった中、今年の箱根駅伝では4区を走り、区間2位という好成績で活躍されました。
 
「箱根駅伝は1年の中で最も楽しい時間」と表現する太田選手に、長距離を始めたきっかけや、今後の抱負を伺いました。

太田 蒼生|Aoi Ota
 
2002年8月26日、福岡県生まれ。
中学2年生で陸上競技部に入部し、長距離を始める。高校は、九州の陸上強豪校である大牟田高等学校に進学し、全国高等学校駅伝競走大会に3年連続出走。青山学院大学に進学後、第98回箱根駅伝(2022年)では、1年生ながら3区に出走し区間2位となる。第99回箱根駅伝(2023年)では4区に出走。先頭と23秒差の3位で襷を受けると、14km地点で先頭に合流。最後は駒澤大学の鈴木選手に先着されたものの、1秒差の区間2位で5区・脇田選手に襷を渡した。

サッカーのトレーニングで始めた長距離

ーーまず最初に、太田選手が長距離ランナーになったきっかけを教えてください。
 
元々中学1年生までサッカーをやっていたのですが、結果が振るわず・・・。当時トレーニングの一環でやっていた長距離走だと他の人よりも前に行けて、純粋に「走ることが楽しい」と思いました。それがきっかけとなり、サッカーを辞めて、中学2年生から長距離を始めました。
 
ーー青山学院大学にはどういった経緯で入学されたのですか。
 
僕が本格的に陸上を始めたときは、青山学院大学(以下、青学)が箱根駅伝を二連覇した頃でした。当時僕は福岡の大牟田高校にいたのですが、そこでは残念ながら「勝つ」ことを経験できず、「強いチームってどんな感じだろう?」と、青学への憧れが強くなっていきました。そこから青学に入りたいと希望して、高校の監督経由で原監督に推薦していただき、運よく入学することが出来ました。正直、青学以外の大学に行くことは考えていませんでした。
 

レースを楽しむために必要なのは「イメージ」

ーー太田選手といえば、真っ先に思い浮かぶのが「箱根駅伝での笑顔」です。レースではどんな気持ちで走っているのですか。
 
僕は全く緊張しないので、楽しいという気持ちが強いです。当日も前日も、全く緊張しませんでした。箱根駅伝は普通では出来ない体験ですし、1年の中で一番楽しいと思える時間です。僕はたまたま接戦の場面で襷が回ってくることが多いのですが、単独走よりその方がより楽しくて、好きです。だから笑ってしまうんでしょうね(笑)。
 
ーーこれまでで一番緊張したのはいつのレースですか?
 
小学生の時の50m走ですかね(笑)。
 
長距離はスタートしてからゴールまで時間があり、自分で幾らでもその後の展開を変えられます。しかし、短距離は一瞬ですし、最初から最後までずっと全力を出しても勝てないことがあるので、僕はそっちの方が緊張します。
 
先ほど、「僕は緊張しない」と言いましたが、元々は緊張するタイプでした。それこそ、小学校のサッカーの試合は緊張していましたし。ただ、全国中学陸上競技大会に出場してから、変わり始めたように思います。その大会では、結果を意識しすぎて強いプレッシャーを感じ、楽しむことが出来ませんでした。終わってから、「折角の機会なのに楽しめなかったのは勿体ないな」と思ったんですよね。
 
そして、「楽しむためにはどうしたらいいんだろう」と考えたとき、「スタートラインに立ったときに自信を持てる」というのが一番レースを楽しめる、言い換えると楽しむことに集中できる方法だなと思いました。
 
そのために必要なことは「イメージすること」です。自分が100%の力で走れるイメージをして、それを練習から落とし込んで、調整していくこと。それが大事だと思っています。
 
ーー大会前のルーティンはありますか?
 
走る直前に5秒ぐらいの動きがあります。ジャンプして脚を開いて前屈して揺らす。それくらいですかね。
 
生活の中でのルーティンはないです。レースって、その時々によって、状況が全然違うので。ロードの感じ、気温、それまでの練習のペース、、、変化する要素は挙げればキリがありません。同じ生活や流れで持って行ってもハマるとは限らないので、そういったルーティンは用意していません。
 
それよりも、どんな環境でも力を発揮できるようにうまく適応することが大事だと思います。

大きな大会ほど楽しくて、強くなれる

ーー去年、怪我をされてPFC-FD™療法を受けられましたが、どのような状態だったのでしょうか。
 
去年2月に滑液包炎(かつえきほうえん)と膝蓋腱炎(しつがいけんえん)になりました。そこから、メディカルパートナーであるセルソースとオーバル中目黒整形外科のバックアップによりPFC-FD™の投与治療を受けました。2回目の投与では一週間以内に痛みが取れ、早期に練習復帰することができたのでよかったです。
 
ーー怪我をしないために意識していることはありますか?
 
「怪我をしづらいフォームづくり」を意識しています。定期的に走っている動画を撮り、自分で見たりトレーナーさんに見てもらったりして、都度フォームを修正しています。
 
実は、箱根駅伝を走った翌日に体調を崩して、一週間練習を休んだんです。そこから練習を再開したら、また同じ箇所が痛むようになってしまいました。ただ、前回痛めた時と違うのはフォームの修正が出来ていること。なので、痛みが取れて練習に復帰出来たら、今回は再発の可能性は低いだろうと考えています。
 
ーー青学OBである神野選手(セルソース)は、太田選手のことを「駅伝男」と表現していました。駅伝では外さない、ということだと思いますが、ご自身でも大舞台に強いという感覚はありますか?
 
自分でも、規模が大きな大会ほど強くなる感覚があります。楽しさと強さが比例しているのだと思います。大きな大会ほど、自分の中で盛り上がるんですよね。
 
僕の中では、大会の“目的”が強く影響していると捉えています。例えば、記録会は「記録を出すこと」が目的ですが、箱根駅伝は「楽しむため」の大会だと思っています。なので、記録会はあまりテンションが上がらない(笑)。
 
箱根駅伝は沿道に観客の方もいっぱいいますし、今年は声を出しての応援も解禁されていました。沿道からの声援はやっぱり気持ちが上がります。

箱根は通過点。夢は世界で活躍すること。

ーー今年の箱根駅伝を振り返っていかがでしたか。
 
チームとして準備出来ていたかどうか、が大きく出たと思います。また、選手各人の経験の差、というところも。中央大学以外はベストメンバーを揃えられませんでしたが、その中でうちは色々とズレてしまった。
 
登りの区間である5区を走る予定だった若林が急遽走れなくなり、下りのイメージで準備してきた脇田さんが急遽登りになってしまった。特殊区間である山登りの所でメンバーが変わったのは大きかったと思います。テレビで見ていても、走り方が「下りの走り」になっていたので、仕方なかったのかなと。
 
ただ、僕自身はベストな走りができると思っていたので、全力を出すのみでした。
 
前日の刺激走の時点でかなり調子が良いことは確認できていて、当日もスタートラインに立った時点で99%のイメージが出来ていた。自信を持って走り始めましたが、走ってみたらイメージ以上に身体が動いてくれました。その時に膝の痛みが出ていなくて、本当によかったなと思います。
 
ーー太田選手の今後の抱負・夢を教えてください。
 
オリンピックや世界の大会に出て優勝することです。パリの次のロサンゼルス五輪、そしてその次の五輪くらいまで活躍し続けたい。
 
出場している選手の殆どが日本人である箱根駅伝で、区間2位や区間賞レベルでは、まだまだだと思っています。まず、来年は2区で区間新を出したいですし、東京マラソンでの優勝も狙っています。
 
「世界を目指す」と胸を張って言えるようになったのは、青学に入ったお陰です。青学に入ってから沢山の出会いがあり、色んな刺激を受けて価値観・目線が変わりました。
 
また、これまでと練習方法も変わって結果が出せるようになり、どんどん目標が高まったと感じます。気持ちの部分でも、身体の部分でも、凄く成長を感じています。
 
青学に入ったことは、僕の人生の中で本当に良い選択でした。
 
ーー最後に、読者の方に向けてメッセージをお願いします。
 
いつも応援ありがとうございます。今は本当にたくさんの方の力をお借りして競技を続けることができています。その分、皆様に競技を通して感動や喜びを届けられるよう日々頑張っていきますので、引き続き応援よろしくお願いします!
 


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