【CROSS OVER Vol.1 ジェフユナイテッド市原・千葉 新井章太選手】成し遂げたいことも、夢もたくさん。良くなる自分しか見えない。
武岡優斗です。元Jリーガーで、現在はセルソースで働いているという変わり種です (僕に関する記事はこちら)。そんな僕が、セルソースと縁のあるアスリートにインタビュ―していく企画「CROSS OVER」が始まりました!
記念すべき「CROSS OVER」第1弾は、現在ジェフユナイテッド市原・千葉に所属している新井章太選手。川崎フロンターレから2020年に加入して直ぐにポジションを確保し、現在もピッチに立ち続けています。
彼は僕の2つ下の後輩で、大学時代に出会ってから17年が経ちます。最初の出会いから形を変えて2度の再会を果たすという不思議な縁がある後輩、新井章太選手にこれまでのサッカー人生、そして今と未来についてインタビューしてきました。
巡り合い過ぎて気持ち悪いです
――大学時代の僕らの出会いについて覚えていますか(武岡、以下同)。
正直あんま覚えてないですね(笑)。気づけば仲良くなって、よく飯に行っていつも奢ってくれていたのは、めちゃくちゃ覚えてます。
この「武岡優斗」が世の中の人にどう思われているかわからないけど、めちゃくちゃ悪戯好きですからね。大学時代はいろんな悪戯をされました(笑)。
――その6年後に新井選手が当時所属していた川崎フロンターレに僕が移籍してきて再会したけど、どう思いました?
優斗さんがわざと連絡してこなかったから、リリースで知りましたからね(笑)!その時、大久保嘉人さんの実家にいて「えっ?俺の先輩なんだけど!来るの?」となってすぐ優斗さんに電話して。当時は、「何で連絡してこなかったんだ!?」と思いましたよ。めちゃくちゃおもろかったけど(笑)。
――2021年にジェフユナイテッドとセルソースがメディカルパートナー契約を締結して、そこでまたセルソースの武岡優斗とジェフユナイテッドの新井章太として、3度目の出会いを果たしたのはめちゃくちゃびっくりしましたね。
まず「武岡優斗がちゃんと社会人できるのか?」というのが一番最初の印象(笑)。やっぱり、自分もセカンドキャリアでの不安はあるから、ちゃんと社会人やっていて率直に「凄いな」と。
でも、さすがにこれだけ巡り合ったらまじで気持ち悪いですね(笑)。多分プライベートでも一番連絡をとっている人ですし、そんな人と職場でもまた会うなんて。
中学卒業までは色んな意味で「二刀流」だった
ーー新井選手のこれまでのサッカー人生について聞きたいのですが、まずはサッカーを始めたきっかけを教えてください。
僕が幼稚園の時にJリーグが始まって、めちゃくちゃ憧れたんですよね。それがきっかけです。
小学校の時は野球もやってたけど、友達と「野球とサッカー、どちらを本気でやるか」と話して、誰かが「サッカーでしょ!」って言ったのでそのままサッカーになったんですよ。その頃は、キーパーとフィールドを両方やっていたけど、埼玉県選抜の時に両方で受かったから迷いつつも「フィールドでこんなに上手いやつらがいたら無理だから、俺キーパーやるわ!」と適当に答えて、それからずっとキーパーなんです(笑)。
中学ではジュニアユースに所属して、学校では野球部に入ってました。毎日部活を終えて17時に帰宅したら、おじいちゃんや母親に片道50分かけてサッカーの練習場まで送ってもらってました。
当時は気付きませんでしたが、子供を4人抱える身になって「めちゃくちゃ大変だったろうな」と心から思います。
これを中学3年間続けてくれていたから今があるし、本当におじいちゃんや母親には感謝しかないですね。なので、今はめっちゃご飯をご馳走してます(笑)。
ーー大学はなぜ国士舘大学を?
高卒でプロになれなかったから「自分に何が足りないのか」と考えた時に「トップレベルの経験だ」と感じたんですよね。当時取り得た選択肢の中で、1番レベルが 高かったのが国士舘でした。これで無理だったら無理だなと。そしたらこの悪戯好きの先輩に出会いました(笑)。
影響を受けた二人
――プロになって最初のチームは東京ヴェルディ。どういう経緯で入ったのですか。
JFLとかのカテゴリーのチームを受けてたけど難しくて、インカレが終わっても何も決まってない状況だったんですよ。
大学4年の1月に大学の監督からいきなり「1週間ヴェルディの練習行ってこい。」と言われて、それから加入が決まった時は『うそでしょ!そんな奇跡ある?』と思いました(笑)。
しかも、幼稚園の卒園文集に「僕は将来ヴェルディの選手になる」って書いてたんですよ。そのヴェルディに入れるって、「俺、どんだけ運良いの!」と思いましたよ。
――それは凄い(笑)。ただ、ヴェルディ時代の試合出場数は0でしたけど、どんな気持ちでしたか。
入って2年が経って、加入当初に比べたら かなり目が追い付いてきてたし、体の感じも慣れてきて「ようやく今からだ!やっとプロになってきたな」と思っていた時に、契約満了になったんです。正直悔しかったし、毎日泣いてました。何を考えても泣けてくる状態で、辛かった。
――その後、トライアウトで川崎フロンターレに加入が決まったんですよね。
フロンターレに入れる可能性があるかもと聞いた時に、まず普通に「J2契約満了になったやつがJ1にいけるわけがないでしょ。」と思ってたから、オファーが来たときは、信じられないくらい喜びました(笑)。
J1で優勝した時よりも、フロンターレが連覇した時よりも、ルヴァン杯取った時よりも、今までで一番嬉しかったですね。
――新井選手と僕がいた時のフロンターレは、風間さんが監督でかなり特殊な時代だったように思います。選手として伸びる時代でしたし、サッカー人生に大きな影響を与えられましたよね。
風間さんのサッカーは、今でもめちゃくちゃ財産ですね!僕の中で一番凄い人です。攻撃は最大の防御というけど、まさにそれでした。
「失点しても倍返せばいい!」ですもんね。全てにおいて影響を受けました。足元 の技術もそうだし、みんなに伝えたいですよね、あの感覚を。
――2016年にとんでもないキーパー「チョン・ソンリョン」が加入してきたけど、その時はどんな感情でした?
最初は「敵対心Max」でした(笑)。「性格悪かったらマジでやばいな。ふざけんなよ」という気持ちでいたけど、信じられないぐらい良い人で、真面目で、めちゃくちゃ凄い選手でした(笑)。
ソンさんとやっていなかったら、今みたいに試合に出続けられていないと思うし、自分に自信を持てていなかったと思う。教わるわけでもなく、あの人のプレーを近くで見て学んだ。
今でも「あの人がいなかったら今の僕はない」と思うし、風間さんの次に影響受けた人だと思います。
もっと出来るという思いと自信
――2020年から現在のジェフユナイテッドに所属していますが、フロンターレから移籍するときは悩みましたか?
返事をする30分前まで悩みました。僕の中で、試合に出ているときは良かったけど、そうじゃない時に「もっと出来る」という思いもあったし自信もあったから。
今でもフロンターレが大好きだし、SNSにコメントしようかと思うぐらいめちゃくちゃファンだし。だから相当な決断でしたね。
――アキレス腱にセルソースのPFC-FD™療法を受けたと思いますが、いつから痛みを抱えていたのですか?
フロンターレ時代からだから、もう8年ぐらい慢性的にアキレス腱が痛かった。毎日色んなケアして、どうすれば良くなるのか考えるけど中々良くならなかったんです。毎日「この痛みはいつまで続くんだろう?」と思うんですよね。もちろんプレーにも関わってきますし。
それで、クラブのメディカルパートナー(オフィシャルサプライヤー)であるセルソースとチームドクターである小林洋平先生(Jメディカルおゆみの院長)のバックアップでPFC-FD™療法を受けてみたら、今では痛みがなくなって!本当に助かりました。今まで色んなケアをしてきたけど、今回は本当に実感できたから。
アキレス腱なので、どうしても注射自体の痛みは出る。打った瞬間は歩けないぐらい痛かったんですよ。ただ2日後には、投与したときの痛みが無くなって、何なら走れるレベルになっていましたね。
これまでに3回投与したけど、2回目は翌日から痛みが無くて、投与した5分後には歩いていました。もう8年も痛みに耐えながらプレーをしていたのに、今は痛みなし!触っても痛くなくなりました。
まだまだ野望に満ち溢れている
――今年は新井選手も35歳になる年。様々な事を経験してきたと思いますが、今後のサッカー人生をどう考えていますか?
ただただ、毎日成長しようと思って過ごしてるから、良くなる自分しか見えてないですね。僕の性格的に「本能タイプ」だから。
まだまだ成し遂げたい事がたくさんあって、夢もたくさんある。毎日身体の事を考えて、毎日自分の成長の事を考えてる。それでいいと思ってます。
――最後にサポーターの皆さんに向けてメッセージをお願いします。
しばらくは感染症の影響もあって、皆さんと中々触れ合う機会もなく、残念でした。 ようやく対応方針が色々と緩和されてきたので、これからは選手の普段の姿などをもっと知っていってほしいと思います。
僕の事もピッチでしか見てないから暑苦しい印象しかないと思いますが、普段は楽しいことも大好きだから、そういう一面も知ってほしいです。
今年、ジェフユナイテッドは「一体感」というシーズンテーマを掲げています。フクダ電子アリーナは一体感が生まれやすいスタジアムですし、J1昇格に向けて一丸となって一緒に頑張りましょう。