【特集】営業部隊と製造部隊は常にタッグを組んで。若手本部長二人が見据える「未来のセルソース」とは。
セルソースには「すべての人生に自由を 医療に革命を」というミッションの下に、多種多様で魅力的なメンバーが集結しています。
今回は当社の要中の要である「CPC(細胞加工センター)」と「営業」の長である朝田さんと片岡さんの対談記事をお送りします。
共に1988年生まれの同い年。若くして重責を担う二人に、入社の経緯から就任後の苦労、そして「未来のセルソース」について話を聞いてきました。
不安よりも期待感からセルソースに
ーー朝田さんがセルソースに来られるまでを教えてください。
朝田:大学時代は修士まで取得しましたが、その6年間は本当に「研究三昧」でした。研究室に寝泊まりすることも少なくなく、まさに没頭した6年間でした。
微生物が研究領域だったのですが、領域に対する興味よりも「仮説を立ててハマった」時の快感に病みつきになっていましたね。
大学卒業後は、CROと呼ばれる治験の受託会社に入社しました。医療機関に通い、医師とお話しして、患者さんのカルテを見て、、、とデスクにいるだけでなく、多くの「現場」に行って治験に携わりました。
「治験」というフェーズを通じて広い領域に触れられるのがCROの特徴で、それがとても楽しくやり甲斐に繋がっていました。
ーーやり甲斐を持って働かれていた中で、セルソースに来た経緯は?
朝田:多くの治験に携わる中で「完全新規の新薬が出るペースはどんどん遅くなっている」ことを痛感しました。それもあり、医薬品以外の医療分野の経験を積んでみたいと思い、転職活動を始めました。
当時のセルソースはまだ社員数が50人ほど。前の会社が大企業の子会社であったこともあり、そこからベンチャーに転職することに不安はありましたが、それ以上に「再生医療に携われる」ことの魅力が上回り、セルソースにジョインしました。
裙本さんに魅せられつつも、社会に貢献するべく飛び込んだ
ーー片岡さんはいかがでしょう?
片岡:前職は住友商事という総合商社におり、一貫して木材を担当していました。その頃のキャリアについては別の記事(片岡さんのインタビュー記事)でお話しているので深くは触れませんが、2014-2016年にはロシアに駐在していました。前任がまさに裙本さん(当社CXO)でした。
ーー前回のインタビューでも、セルソースの入社の経緯に裙本さんの影響があったと仰っていましたが、他にも理由はありましたか?
片岡:2つ理由がありました。一つ目は、やはり明確に「社会のため、人のためになることを事業としている」ことです。これからも医療は無くなりませんし、非常に尊い領域でイノベーションを起こそうとしていることに魅力を覚えました。
もう一つは「サッカー」という文脈です。私は過去必死にサッカーに打ち込んでいて、残念ながらプロにはなれなかったのですが、今の私を形作っているのは紛れもなくサッカーというスポーツです。
「サッカーに何らかの形で恩返ししたい」という思いは実はずっと持っていました。セルソースのサービスはスポーツ障害の治療にも活用されているので、選手の怪我の治療サポートという形で実現出来るのでは、という期待がありました。
突然の任命にも「完全にポジティブ」で向き合った。
ーーお二人とも若くしてプライム上場企業の執行役員や本部長という重責を担われています。任命されたときはどのような思いでしたか?
朝田:私は2022年11月に副本部長になり、それが実質的に「CPC(細胞加工センター)全体の責任者」になったタイミングでした。
お話をいただいた時の気持ちとしては「100%ポジティブ」だったのですが、やはり不安要素はありました。
具体的には、①組織の規模感と②未知の領域の存在、です。
今日でいえば、CPCは派遣社員含めて80人の大所帯です。それを自分が纏められるのか、という不安が一つ。もう一つは、製造、品質保証、生産管理・・・全ての領域の詳細を自分がわかっている訳ではないことへの不安でした。
それに対する自分の最終的な結論は「みんなを頼ろう」ということでした。どこまで行っても、自分が1人でまとめられる訳もなく、また全てを理解できる訳でもありません。
現場への理解を進めながらも、どんどん頼っていこうと思い、腹が決まりましたね。
片岡:私は入社後1年で営業責任者の任命をいただきました。想定外の事態がきっかけではありましたが、客観的にみても「自分しかいない」と思い、すぐに腹は決まりました。
至らない点は多々ありますが、常に前を向いて、ポジティブに仕事に取り組めていると思います。
営業とCPCを「一丸」に
ーー客観的にみて、お二人が営業とCPCのトップになられて「営業・CPC間」のコミュニケーションは劇的に改善しました。その辺りの話を聞かせてください。
片岡:入社して以来ずっと、営業とCPCは「お互いの顔が見えない」そして「お互いの顔を見ようとしない」状態が続いているように感じていました。
例えば、医療機関からの相談や質問が営業に来て、CPCの方に聞かなくてはならない時も、全てチャットでやり取り。返信が来ないとまたチャットを送る。そんなことが続いていました。
私は出先なら電話する、オフィスにいれば違う棟やフロアでも会いに行く。これが基本動作でしたが、それはとても珍しいものでした。
朝田:まさにそうで「営業内コミュニケーション」と「CPC内コミュニケーション」それぞれは活発だけど、部署間は繋がっていない。それぞれの窓口がやりとりする、そんな形でした。
CPCのメンバーは営業の方とキャラクターも当然違うので「どう接していいか分からない」という思いや、「責められているのでは」という恐怖心などもあり、萎縮していたところもあったと思います。
ーーそんな中でどのように対応されたのですか?
片岡:まずは、とにかく朝田さんとのコミュニケーション量を増やしました。トップ同士が包み隠さず話す姿勢を見せなければメンバーはやりませんし、我々も互いの状況が分からないと的確な指示や意見を出せないので。
朝田:そういった取り組みがあった中で、とても大きなイベントが2023年期初に起こりました。それは営業とCPCが一緒にならなければ絶対に解決しないものでしたが、それを全社一丸となって乗り切ったことは、とても大きなターニングポイントだったと思います。
ーーお二人がとても相互に信頼していることが感じられます。
片岡:「朝田さんに相談したら一緒に解決してくれる」という信頼があるので、物凄く助かります。また、朝田さんはCPCの責任者として、必要な時は必ずお客様である医療機関の所に行ってくださるのですが、これがとても有難いです。
朝田:私も全く同じで「片岡さんに相談したら絶対に一緒に考えてくれる」という信頼があるので、トラブルが起きた時も真っ先に相談します。
それに医療機関の方々からも強い信頼を得ておられるので、本当に頼りになります。毎日驚くほどポジティブですし(笑)。
「本部長」から「経営層」に
ーーお二人とも「営業」「CPC」というところから、「経営」への参画、そして貢献が求められてきています。
片岡:今の立場になったことで、より「俯瞰」して自分の営業活動を見られるようになりました。どうしても営業現場にいると、目の前の医療機関・医師一人ひとりに集中してしまいます。
それ自体はとても大切なことなのですが、「引いてみたときにそれはどういう意味を持つのだろう」という視点を持てるようになりました。
一方、経営そのものについてはまだまだ未熟だと思っています。ここは今チャンスを貰えているという立場だと思うので、必死に頑張っていきたいですね。
朝田:私も片岡さんと同じく、経営そのものについては、飛躍的な成長が求められていると思っています。その一方で、第九期はZERO LAB移転、新サービス開始、、、と「CPC」としての大イベントが目白押しです。
この大イベントをやり切ることそのものが「執行」としての大きな責務を果たすことになると思っています。
ーー最後に、新しく来られた澤田さんを含めた「セルソースの経営層」についてのコメントと、ご自身の抱負をお願いします。
片岡:まだ澤田さん体制になって3カ月ですが、澤田さん・裙本さんが互いを強く信頼しているのが非常に大きいと思います。今セルソースは大きな変革期を迎えている中、トップが一枚岩でいてくれることは安心感がありますね。
私は「変化をまず起こすのは営業」だと思っています。お客様に1番近い営業が積極的に変化していくことが、全社の変化を後押しすると信じているので、恐れずに変わっていきたいですね。
朝田:セルソースは完全に「次のStage」にいく体制になっていることを感じます。この「挑戦・変化」を経営層、そしてメンバー全員が深いレベルで理解することが求められています。
私については、片岡さんがいる前では言いづらいですが(笑)、極端な話「営業に頼らなくても売れるサービス」を作れるCPCを目指したいです。
唯一無二の製品を、安心安全に、でも効率的に作れるCPCにする。そのくらいの気概を持ってCPC改革に取り組み、社会に貢献していきたいです。