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【CROSS OVER Vol.8 セレッソ大阪 登里享平選手】もう1回、2回と大きく成長したい。

武岡優斗です。元Jリーガーで、現在はセルソースで働いています(僕に関する記事はこちら)。そんな僕が、セルソースと縁のあるアスリートにインタビュ―していく企画「CROSS OVER」。

本企画の第8弾は、セレッソ大阪に所属している登里享平選手です。

長年在籍した川崎フロンターレを離れるという大きな決断をし、強い覚悟を持って新たなチャレンジをした登里選手。私がフロンターレに在籍していたころのチームメイトでもあります。

久しぶりの再会とともに、プロに至るまでのキャリア、プロ生活のこと、PFC-FD™療法について、サッカー人生の目標など、たくさん伺ってきました。

ぜひ最後までご一読ください。

登里 享平|Kyohei Noborizato

1990年11月13日 大阪府生まれ。
香川西高等学校から、2009年に川崎フロンターレに加入。風間八宏氏が監督に就任すると左サイドバック(以下、SB)での出場が増え、2014年からDF登録に。川崎時代に数々のタイトル獲得に貢献。2020年に自身初のJリーグベストイレブンに選出。2024年、セレッソ大阪に完全移籍。

幼少期の思い出はサッカー一色

ーー登里選手がサッカーを始めたきっかけを聞かせてください。

2つ上と6つ上の兄の影響です。

近所の街クラブに加入して、家でも外でもずっとサッカーをしていたので、幼少期の思い出はサッカーだけですね。

おかん曰く、兄弟のうち僕だけはボールを転がしたら手で掴むんじゃなくて蹴り返してきたらしいです(笑)

ーー絶対嘘(笑)。でも、思い出はサッカーだけっていうのは「あるある」ですね。小学生の頃は武岡も対戦経験のあるEXE90FCに在籍していましたよね?

そうですね。レベルが高く厳しい環境に身を置きたかったので移籍しました。小学校5年生の時です。

これが人生で初めての移籍ですね(笑)。

ーー高校は強豪校の香川西高等学校に進学しましたが、その他の選択肢はありましたか?

高校サッカー選手権大会への憧れがあり、元々は帝京高校に行こうとしていていました。セレクションを受けて合格していたんですよ。ただ特待生ではなく、一般生で。

兄二人が大学に進学していたこともあり、高校生ながらに「きついかな」と思ったんです。

親から遠回しに「香川西の練習にも一回参加してみたら?」と言われたこともあり、練習会に参加し、最終的に進学を決めました。

全国区になった「讃岐のジャックナイフ」

ーー香川西の練習に参加してみて雰囲気はどう感じましたか?

すごく良かったです!サッカーに集中できる環境で。

実は元々はちょっとサボり癖があったんですよ(笑)。練習ぎりぎりまでラウンドワンにいたり、なんなら遅れたりとか・・・

本当に香川西を選んで良かったと感じています。サッカーしてうどん食べて、サッカーしてうどん食べて。サッカーに集中出来ましたね(笑)。

ーーサボり癖はイメージがなさすぎる(笑)。「讃岐のジャックナイフ」と呼ばれるようになったのはいつ頃ですか?武岡が国士舘大学の4年生、登里選手が高校3年生で川崎フロンターレに練習生として参加していた時の練習試合ではまさにその名前の通りでしたね。

高校3年生の時に雑誌で取り上げてもらってからですね!

あの時の国士館との練習試合は本当に楽しかったですね。今とは全然違うプレースタイルですけど、かなりアピールできたおかげで、5月には仮契約させてもらいました。

ーー国士舘は踏み台ですね(笑)。決まってホッとしましたか?ご自身の中で変化はありましたか?

国士舘には恩がありますね!かなりアピールさせてもらったので(笑)。

決まった時はホッとしました。

でも、覚悟というか「レベルアップしておかなければ」と感じて、自分で言うのもなんですが、そこからめちゃくちゃ伸びたと思います。

プロ1年目にして感じたタイトルへの渇望

――実際にプロになってみて、自分の中での手応えとかはありましたか?

スピードには自信があったので、割と通用するなとキャンプでは感じていました。

キャンプは若手のコンディションがいいので(笑)。

10月には初ゴールも取れましたし、それにルヴァン杯決勝(当時:ヤマザキナビスコカップ)も出てるんですよ!

ーーあの決勝ですか?

そうです。負けた時です。

残り時間が少なく追いかける展開での出場やったので「何かを起こさないと」という想いでしたね。

「また負けた」というフロンターレの空気感と「タイトルに飢えているクラブ」っていうのは1年目ながらに肌で感じました。

こんなに本気で取り組んで結果が「準優勝」で・・・

負けた後の雰囲気とかで「たくさんのものを背負ってやってるんやな」と客観的に見入っちゃいました。

サッカー人生を変えた「SB転向」

――「アタッカ―登里」は2011年に開幕スタメンでしたが、ご自身でこのシーズンでの手応えはありましたか?

開幕は右サイドハーフでした。相手のラインを下げさせる動きをしていましたね!隠れるランニングを(笑)。

キャンプも調子が良くて、そのままの勢いで開幕スタメンで点も取れて、流れは良かったです。

この時の自分も今の若い選手とかもそうですけど、1年を通して浮き沈みがありますよね。良くなって突き抜ける選手と慣れてきて沈んでしまう選手を見ると「安定した選手」とか「経験」って大事やなと思います。

スタメンでずっと出てる若手とかって、メンタルが安定してて頭の中が整理されてるんかなって思いますね。

――風間さん(風間八宏監督)の時のSBに転向されましたが、後ろのポジションをやることに対してどう感じていましたか?

後ろをやることですか?

いや・・・もう・・・嫌でしかなかったです(笑)。

SBとして出場するようになったのは風間さんが就任して2試合目ぐらいの時でしたね。怪我人が出たり、出ていた選手の調子が良くなかったり。タイミングが良かったです。

何よりも嬉しい川崎のバンディエラの言葉

ーー2019年ぐらいにプレースタイルが変わったイメージがありますが、実際にはいかがでしたか?

阿部ちゃん(阿部浩之)、憲剛さん(中村憲剛)、アキくん(家長昭博)、コバくん(小林悠)の独特なリズムがあり、そこに合わせるために試行錯誤したのが良かったですね。

自分の幅が広がりました。

ーー2020年にはだいぶ役割が変わってベストイレブンも獲得されました。すごく楽しそうにプレーしていた印象があるのですがいかがですか?

憲剛さんに「やっとわかってきたな!」と言われたのが嬉しかったですね!しかもボソッと言うんですよ(笑)。

間違ってないんやなと思いましたし、そこからよくサッカーの話をするようになりましたし、サッカーが面白くて仕方がなかったですね!

悩み抜いた末に安定よりも望んだ「成長の可能性」

セレッソ大阪提供

ーーそこからセレッソ大阪に移籍。たくさん聞かれてると思うので聞くか悩むのですが、移籍という決断をされた要因を聞かせてください。

クラブから「リーグ優勝が目標」と言われて、自分を必要としてくれて自分の存在価値を見せることが出来れば、幅も広がるしまた違う成長や今後のキャリアに繋がると思って決断しました。

二転三転したし、めちゃくちゃ迷いましたよ。残っていれば「安定」もあったし「想像」も出来たんですよ。

優斗君はわかると思うけど、良いクラブやし、そこで選手生活を終えるのは幸せな事とわかっていました。けど、「もう1回、2回と大きく成長したい」と思って。

ーー今シーズンを振り返って感じることを聞かせてください。

優勝を目指していくうえで、「どうやったら、もう1個、2個と上に行き優勝争い出来るかな?」とよく考えますね。

成功体験をドンドン増やさないといけないし、シーズンを通して波のあるようではいけない。同じことを繰り返してしまっているので責任を感じています。

自身に合うPFC-FD™療法

セレッソ大阪提供

ーー少し話は変わりますが、これまでの怪我の経験を教えてください。

ひと通りの怪我は経験していますね。手術も結構やっています。

無事なところは・・あるかな?(笑)。

セルソースのPFC-FD™にはフロンターレ時代からお世話になっています。

ーー「PFC-FD™療法」を受けられていかがでしたか?

過去に他社さんのPRPを投与した時は、練習を休まないといけないし、結構リバウンド(痛み)があったんですよ。

セルソースのPFC-FD™はこれまでに3、4回投与しましたが全くリバウンドがなくて、翌日から普通に動けています。

先日膝を打撲して、少し腫れたのでPFC-FD™療法を受けました。自分には合っていますね。

オフ明けに打ったことも忘れて、普通に動いていました(笑)。

とにかく「優勝したい」

セレッソ大阪提供

ーー自らの意思で長年在籍したクラブを離れ新しいチームに加入された今、登里選手が思うこれからのサッカー人生について聞かせてください。

年齢の近い選手の引退が多く「自分もそういう年齢か」と思う反面、まだまだやれる感覚が凄くあります。身体の調子も良いし、それこそ「ボロボロ」になるまでやりたいですね。

セレッソを優勝させないと自分が来た意味がないしピッチ上で貢献する事が1番やと思っています。ピッチ外でも出来る事はあるけど、サッカー選手はピッチに立ってなんぼなんで!

とにかく優勝したいです!

自分が加入してよかった!と思ってもらえるような活躍をしたいですね!

ーー非常に良いお話が聞けました。ありがとうございました!

インタビュー後記

セレッソ大阪に所属するノボリ(彼のことは普段からこのように呼んでいます)へのインタビューという、昔の自分に言っても信じられないシチュエーション。

数々の出来事を経験してきたノボリだからこそ出てくる言葉だな、というものが非常に多かったと感じました。

大きなチャレンジをした「登里享平」に今後も注目してください!

最初はピンクのノボリに違和感を覚えながらも、次第に「しっくりきてるな」と感じた武岡でした。

セルソース 武岡/セレッソ大阪 登里選手